
高校2年の時だ。いつものように私はギターの弦を買うため行きつけの楽器店に足を運んだ。用を済ませ、店長と世間話をしていると一番奥の壁に見慣れない一本のギターがかけてあるのが目に止まった。それは湖のように透き通るブルーとグリーンの中間色で、サンバーストという、ボディーの縁から中央にかけて段々と色が薄くなっていくカラーで、ストラトキャスターをより幾何学的にカットしたような、奇抜でもないが斬新なデザイン。そしてその少し小ぶりなボディーからは凝縮された知性が溢れ出てくるようだった。
スタンダードモデルではない自分だけのギターを探し求めていたが、この唐突な出会いにしばし啞然となった。これを見て、楽器屋でありながら楽器が弾けない、つまり純粋な商売人である店長が私の血圧の変化に気づかないはずもない。しばらく様子を見てから穏やかに仕掛けてきた。「弾いてみる?」
無言で弾き続ける私を見て店長は勝利を確信しただろうが、勝負の怖さを知りぬいた真の猛者はここで手を緩めるどころか一気にとどめを刺しにかかるのだ。
「これは限定モデルでね・・・。」
高校生を学校に内緒で雇ってくれるところは時給430円の○⚪︎○しかなかった。小学校と中学校と高校の名前しか書いていない、いかにも様にならない履歴書を持って訪れた私に、マネージャーは髪を切って清潔にしてこいとだけ言った。ロックギタリストにとって中途半端に長く汚らしい髪の毛は猫のヒゲほど大事なものであったが、あのギターを絶対誰にも売らないでくれと頼んできたからには、何を言われても従うしかなかった。
○⚪︎○はすごい企業だ。多い日で100万円を超える売り上げがある店舗を、たった1人か2人の社員が切り盛りをする。あとは全て時給500円のアルバイトだ。たとえボン⚪︎⚪︎な高校生を雇おうが全世界どこでも全く同じクオリティを保てるよう、厨房は完全にシステム化されており、アルバイト教育も徹底している。その企業経営は合理化の追求と強力な管理体制によって成り立っており、大袈裟ではなく、ポテト1本さえアルバイトの自由にはならないのである。
そんな血も涙もないところに私はのこのこ出かけていった。ウオッシャーと呼ばれる洗い物コーナーから始まり、レタスカット、ドリンクコーナーへと順に持ち場を変わりながら仕事を覚えていく。どれも手順が詳細に決められていて熟練を要するものではないので1週間もしないうちにポテトコーナーから憧れのバーガーコーナーに配属された。ビック○⚪︎○が焼けるようになれば見習い期間は終わりだ。テストを受け、私はAクルーに昇進し、時給も450円になった。しかし早くも私の出世街道が閉ざされつつあることに誰が気づいただろう。
この頃、一つ年下の新入りが来た。彼は不器用な人物で、物覚えも遅く、見習いを終えるまでに10日近くもかかる始末であった。ところが一旦仕事を覚えると俄然頼れる存在に変身し、気がつくと私よりも先にBクルーに昇進してしまったのだ。私はBクルーの試験課題を時間内にこなすのであるが、何度受けてもマネージャーが難癖をつけて不合格にするのだった。そんなある日、別のマネージャーがきてくれたので私はやっとBクルーになれた。が次の日だった。
いつものマネージャーが珍しくレジの仕事をしていた。バーガーのポジションは例の新入りに奪われ、私はシェイク係に左遷されていた。なぜかマネージャーが急にシェイクの機械を掃除しろといってきた。しばらくするとパッキンを外すときに顔を触ったと言って店中に聞こえるような大声で私を怒鳴りつけたのだ。見せしめなのかデモンストレーションなのかわからないが、営業中にシェイクの機械の清掃をすることは通常ないので計画的な行為である事が理解できた。マネージャーのやめさせたいという気持ちを察し、この日をもって私は○⚪︎○を退職した。こうして私はたった1ヶ月の間に、昇進、左遷、リストラというサラリーマン人生の悲哀を経験し、代わりに5万円ほどの最後の初任給を手にした。
マネージャーが私をやめさせたかった理由が今ではよくわかる。それは私よりも有能な人物がたくさんいたからだ。後から入ってきた彼は要領は良くなかったが、よく気がつく性格であった。客が止まって暇になると、冷蔵庫を点検して少なくなった材料を補充したり、洗い物を済ませたりして、常に自分で考えて次の準備をしていた。グリルにもたれてただ指示を待つ私に対して、彼は全くと言っていいほど指示を受けなかった。そして思わぬオーダーで私がパニックになると、必ず彼はニヤッと笑って手伝ってくれた。
結局その給料では少し足りなかったが、バイトに夜遅くまで頑張ったからといって残りは親が援助してくれた。念願のギターを手にする、それは待ちに待った嬉しくてたまらない瞬間であるはずだった。確かに舞い上がるほど幸せだったが、深い湖のような青緑色を見ていて、なぜかそれが自分の心を映しているように思えた。
*この文章の題名はマイルスデイビスのKInd of Blueに収録されている曲名を引用しています。ギタリストからも絶大な指示を得ている名曲です。