最近、湖の夢をよく見ます。大きくて水は透明、周りにはかなり高い山々があり、日本ではないような感じです。これはきっとお金持ちになる予兆に違いありません。
「湖の夢」で検索したところ、お金持ちになる夢ではなく、「心理状態が内省的になっている」と書かれていました。そういえば思い当たることがあります。
自分が生徒だった頃、先生の授業中の雑談が好きでした。授業の内容は忘れても、雑談の内容だけは今でも覚えていたりします。
学校は勉強だけ教えていればいればいいというわけではないので、誠実に教えることはもちろん、多少の自己開示は教師の責任だと思っていました。
ところが、しばらく前からそれがあまり歓迎されなくなりました。例えば、ちょっと難しい理屈が続く場面で一息入れてやろうとしても、授業内容から逸れた途端に、突っ伏したり、私語を始める生徒がいたりして、集中が途切れてしまいます。だからもう長年、余談もせず淡々と授業をしてきました。
ある月曜の1時間目、2年生のクラスに行くと生徒が半数近くいません。来ている生徒は損した気持ちになっているのか、全くやる気がありません。なんとか元気付けてやらねばならないのですが、どうすればいいのでしょう?職員室にアニマル浜口先生がいればいいのですが。
勇気を出して、「月曜の朝は私も気持ちが重いので、マコなり社長の動画を見て元気をもらっているよ。」という話をしました。
案の定、「何それ?」みたいな反応です。生徒たちとは関心の対象がかけ離れているのと、彼らにとって私は親の世代なので、警戒心もあるのでしょう。
しかし最近では、あまり真剣に聞いてもらえないとわかっていながら、めげずに自己開示をすることにしました。私が授業をするのもこの先そう長くはないからです。
実は、聞いていないようでも彼らは聞いています。そのうち「マコなり社長の動画見たよ。」っていう生徒が出て来ます。授業に対する姿勢が徐々に前向きになり、クラスの成績も良くなります。これがコヴィー博士のいう信頼関係というものでしょうか。
考えてみれば、みんな寝てしまうから定理の証明はパスしようとか、やってこないから宿題を出すのをやめようとか、必要だとわかっていても成果の期待できないことは極力避けて来たように思います。人間が小さいというか、まあケチだったんですね。
たとえ感謝されなくても生徒のために必要なことはやるべきだった。ダメだしばかりしていないで、褒めて励ましてやることがどうしてできなかったのだろうと思います。自分にできることはそれしかないのに。
職員室のPCの電源を入れると、デスクトップが湖の写真であることに気がつきました。私が見ていた夢がこのデスクトップでないことを祈りたい。