アロマフレッシュサーモ

 コンビニにあるコーヒーマシンみたいに、ボタンを押すと豆をガラガラっと挽いて淹れてくれるのが欲しかったんです。もちろん、機械の上部のケースに入った豆が見えているやつがいい。

 国産にも同じようなものがあるのですが、飲み比べることもできないし、ネットのレビューを参考に、スペックで決めるしかありません。結局コニカル式のグラインダーが決め手になりメリタ(ドイツ)にしました。ちょっと高かったのですが、貯まったポイントが背中を押してくれました。

 プラシーボ効果で美味しく感じるかもしれないので、ブラインドテストをしました。今飲んでいるコーヒー(粉)を使い、全く同じ条件で、前の機械(写真左)とメリタアロマフレッシュサーモ(写真右)2台同時に淹れます。そして妻がこれらを①岩崎ちひろの猫の絵のカップと②無地のカップに注ぎました。果たして「違いのわかる男」になれるのか。

 まずソムリエのように鼻を近づけますが香りの違いはわかりません。次に口に含み、舌に絡ませます。予想に反して二者の味は明らかに違います。しっかりとした苦味とコクのあるコーヒーは猫のカップです。私は迷うことなく①を選びました。これがゴールドスタンダードというものでしょう。

私「こっちが美味しい。」

妻「ええ?それは古い方だよ。」

私「おおい、ちょっと、まあてえよ!」(キムタク風に)

妻「いくらしたの???」

私「・・・・。」(キムタク風に)

 その後妻が飲むと、①は渋みがキツい、②の方が断然美味しいといいます。そう言われて飲むと悔しいけれどその通りなんです。カップ半分ぐらい飲んだところで①は舌に刺さる雑味が気になり、頼りない印象だった②は口当たりに酸味、後に甘味を感じます。

 妻は普段コーヒーに牛乳を入れるんです。そんな妻が実は「違いのわかる男」だったなんて。

 さて、今度は機械に見合う豆を求めて近くの豆専門店に行きました。今までアイスコーヒーの豆にこだわったことはないのですが、100g 450円と奮発しました。これを例のコニカルグラインダーで細挽きにしたところで、カフェにいるような香りに包まれます。プラシーボもピグマリオンもいません。

 表現力がないのでこの美味しさをお伝えできませんが、このマシンを導入した結果、私は水筒を持ち歩くようになり、妻はコーヒーにミルクを入れなくなりました。今ではいろいろな豆を自分で買って来ます。これはもう、我が家のパラダイムシフトといえるかもしれません。

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ラピのガールフレンド

 ラピのお友達は毎日我が家にやってくるようになりました。立派な体格で、絵に描いたような茶トラ猫ですが、女の子です。三毛の雄ほどではないですが、茶トラの雌は珍しいらしいですね。フレンドリーで行儀もいい猫なので、同じ町内で飼われているのでしょう。昼間は我が家で過ごし、餌も食べて夜になると帰って行きます。

「外食するときは家の人に言っとかないとだめだよ。」

 その日はやや強く雨が降っていましたが、ラピのガールフレンドはいつもの時間に帰って行きました。しばらくして、車に置いた荷物を取りに玄関に出ると、隣の家の軒下に彼女がいるのが見えました。

「お前、もしかして帰る家がないのか?」

 痩せてはいないし、汚れもなく綺麗なので野良猫には見えません。でもいつもお腹を空かせているので、もしかして、迷子になったのでしょうか。近所の人に聞いてみると、その方も春ごろから餌をあげているそうなのです。近くの動物病院にもあたってみましたが、飼い主はわかりませんでした。派手な赤色の首輪をつけて様子をみましたが、飼い主さんからのコンタクトはありません。

 テーブルの上には登らないし、引き戸を開けられるので飼われていた事は間違いありません。きっと大事にされていたと思うのですが、どうして捨てられたのでしょうか。何があったのか聞いてみたいところですが、本人は気にも止めていないという感じです。

 というわけで、ラピのガールフレンドはうちの子になりました。名前は「チャチャ」です。チャチャがうちの子になってもう3年になります。

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猫の室内飼いについて

 子供の頃飼っていた猫はみな、3年ぐらいでいなくなったり、病気で死んだりしました。人間の食べ物を与えると塩分が多いんですね。猫に対するいろんなケアが不足していました。あと、放し飼いだとオスはどっかに行ってしまいます。

 住宅地で放し飼いはルール違反ですので、ラピは完全室内飼いです。近くに大きな道路も通っていますから心配です。

 ところが、元は野良ですから土を知ってるんです。ガラス越しに見える庭に出たがります。窓をカリカリします。かわいそうなのでリードをつけて、毎朝20分ほど庭に出していました。犬のように散歩できればいいのですが、狭いところに入っていきます。塀の上とかに登るのでうっかりリードを手離してしまうと危険なんです。遠いところにはいけません。

 秋のとてもいい天気の休日、ラピが外に出たいといって窓をカリカリします。しばらく私を見つめてまたカリカリします。右に行って、左に行って、それから足元に来て私を見つめます。とても切実な願いです。

 室内で飼うと長生きするといっても10年から15年ぐらいです。人間よりもずっと短い猫生なのに、去勢され監禁されて、庭で遊びたいというたった一つの願いも叶えられないのです。木に登って遠くを見たり、蝶々やトカゲを捕まえたい。猫にもやりたいことがあるんです。

 ちょっとだけ。始めてリードなしでラピを庭に出しました。しばらく近くにいましたが、リードがないことに気がついたのか、どこかに行ってしまいました。

 しまったと思いました。一度出したらまた行きたいといって行動がエスカレートするに違いありません。理由があって決めたことですから、飼い主がブレてはいけないんです。しかし、1時間も経たないうちにラピは帰ってきました。しかも、お友達を連れてきたのです。ラピが入れといったので、お友達も遠慮なくわが家に入ってきました。

              つづく

ネコの去勢について

 ラピが8ヶ月になろうとしていました。そろそろ去勢をしなければならないと思いながら、なかなか行動に移せないでいました。

 確か、子供の頃飼っていた猫は盛りの時に出て行ったまま帰ってきませんでした。ラピは部屋飼いですが盛りがつくと喚きまくって大変らしいです。動物病院でもらったパンフには去勢、避妊は飼い主の責任とも書いています。メリットもたくさんあり、迷子や喧嘩による怪我、病気のリスクを減らして長生きできるそうです。

 しかしながら、生物としての生きる目的、子孫を残す権利を人間の都合で奪ってしまっていいものなのでしょうか。猫は体一つで生きています。服が欲しいとか、スマホ買ってとか言わないのに、この小さな生き物の大切な体の一部をとってしまうんです。

 睾丸を取ってしまうと盛りがつかないだけでなく、ある種の成長ホルモンが分泌されなくなって、いつまでも少年のままだそうです。今はとっても活発で、家の中を走り回っています。興味があるものを見ると目がまんまるになって、お尻を振って飛びつきます。これが去勢というぐらいなので、通勤電車のサラリーマン(私を含む)のようになってしまわないか心配です。

 でも想像して見ました。ラピがある時脱走し、どこかの猫さんを妊娠させて子猫が生まれたら、その子がまた捨てられたり、保健所に連れていかれるかもしれません。そのことに責任が持てない以上、やはりラピには手術を受けてもらうしかないでしょう。ごめんなさい。

 ラピは一晩泊まって帰ってきました。怖かったのでしょう元気がありません。おまけにエリザベスカラーが付けられていて、窮屈そうです。膝に乗せるとゴロゴロといって眠りました。痛い目に遭わされたのに恨みや憎しみはありません。人間と暮らす使命を受け入れたのでしょうか。

 2、3日するとラピは元気になりました。エリザベスカラーを器用に振り上げて階段を駆け上がっていきます。冷蔵庫に飛び乗る時もぶつかったりしません。でも体を舐められないんです。見ていて辛い2週間が終わり、カラーを外しました。

 結局、去勢による性格の変化はなく、活発さも失われませんでした。見た目もこの通り、ちゃんと男の子です。

 性を失い、生涯独身を貫かなければならないラピですが、毎日健気に振る舞って私たちを癒し、また元気付けてくれています。

葡萄の花切り

収穫は8月末です。

 話せば長くなるのですが、うちの小さな庭には葡萄の木があります。世話が大変なんじゃないの?素人にできるの?とよく聞かれますが大丈夫です。マメでなくても簡単にできますよ。ただし、この時期、花きりだけはした方がいいと思います。一本の枝に2つのふさがつくんです。これをこのままにしておくと、葡萄が2つくっついて実が痛んでしまいます。またふさが多く着きすぎて甘くなりませんから各枝1つにします。さらに残したふさも切り込んで先の方だけ花を残すようにします。

このままにしておくと

 これだけ切ってもあと半分残ってるので、うちで食べ切れるような量ではありません。近所に配って、職場にも持っていきますが、ただということもあって好評です。売っているブドウとは違って爽やかな甘さです。見た目マスカットですが、味はデラウエアに似ているように思います。

今日やりました。

 実はこの葡萄、種類がわからないんです。果樹研究所に勤める義理兄が見てもわからず、雑種で片付けられました。ホームセンターで小さな鉢植えで売られていたんですが、綺麗な実がついていました。食べられるの?と聞くと、おばさんは首を振りながら「観賞用だよ」と言いました。確か1000円だったと思います。

 初めはベランダに置いてたんですが、まるでジャックと豆の木のように伸びていくんです。朝夕水を与えても次に見ると萎れています。観賞用と聞いているのですが、樹勢が旺盛です。

「私はこんな鉢植えに収まるようなブドウではありません。もっと大きくなってたくさん実をつけたいのです。」

 葡萄の野心を感じたので庭の隅っこに植えるとこの通り生い茂って毎年食べ切れないほどの実をつけるようになったというわけです。

 葡萄はながーい枝をつけますから、場所によって綺麗で大きな実もあれば、そうでない実もあります。収穫期の8月末ごろ、立派な実は誰かにあげて、貧相なやつは木にぶら下げておきます。すると9月を過ぎて紫色になり甘く美味しくなるんです。

 葡萄にも立派な実とそうでない実がありますが、やるべきことをやって最後まで待っていれば全部美味しい葡萄になります。人間も同じように誰もがなりたい自分になれるんだよと教えてくれているように思います。

Blue In Green(1997年学級通信)

 高校2年の時だ。いつものように私はギターの弦を買うため行きつけの楽器店に足を運んだ。用を済ませ、店長と世間話をしていると一番奥の壁に見慣れない一本のギターがかけてあるのが目に止まった。それは湖のように透き通るブルーとグリーンの中間色で、サンバーストという、ボディーの縁から中央にかけて段々と色が薄くなっていくカラーで、ストラトキャスターをより幾何学的にカットしたような、奇抜でもないが斬新なデザイン。そしてその少し小ぶりなボディーからは凝縮された知性が溢れ出てくるようだった。

 スタンダードモデルではない自分だけのギターを探し求めていたが、この唐突な出会いにしばし啞然となった。これを見て、楽器屋でありながら楽器が弾けない、つまり純粋な商売人である店長が私の血圧の変化に気づかないはずもない。しばらく様子を見てから穏やかに仕掛けてきた。「弾いてみる?」

 無言で弾き続ける私を見て店長は勝利を確信しただろうが、勝負の怖さを知りぬいた真の猛者はここで手を緩めるどころか一気にとどめを刺しにかかるのだ。

「これは限定モデルでね・・・。」

 高校生を学校に内緒で雇ってくれるところは時給430円の○⚪︎○しかなかった。小学校と中学校と高校の名前しか書いていない、いかにも様にならない履歴書を持って訪れた私に、マネージャーは髪を切って清潔にしてこいとだけ言った。ロックギタリストにとって中途半端に長く汚らしい髪の毛は猫のヒゲほど大事なものであったが、あのギターを絶対誰にも売らないでくれと頼んできたからには、何を言われても従うしかなかった。

 ○⚪︎○はすごい企業だ。多い日で100万円を超える売り上げがある店舗を、たった1人か2人の社員が切り盛りをする。あとは全て時給500円のアルバイトだ。たとえボン⚪︎⚪︎な高校生を雇おうが全世界どこでも全く同じクオリティを保てるよう、厨房は完全にシステム化されており、アルバイト教育も徹底している。その企業経営は合理化の追求と強力な管理体制によって成り立っており、大袈裟ではなく、ポテト1本さえアルバイトの自由にはならないのである。

 そんな血も涙もないところに私はのこのこ出かけていった。ウオッシャーと呼ばれる洗い物コーナーから始まり、レタスカット、ドリンクコーナーへと順に持ち場を変わりながら仕事を覚えていく。どれも手順が詳細に決められていて熟練を要するものではないので1週間もしないうちにポテトコーナーから憧れのバーガーコーナーに配属された。ビック○⚪︎○が焼けるようになれば見習い期間は終わりだ。テストを受け、私はAクルーに昇進し、時給も450円になった。しかし早くも私の出世街道が閉ざされつつあることに誰が気づいただろう。

 この頃、一つ年下の新入りが来た。彼は不器用な人物で、物覚えも遅く、見習いを終えるまでに10日近くもかかる始末であった。ところが一旦仕事を覚えると俄然頼れる存在に変身し、気がつくと私よりも先にBクルーに昇進してしまったのだ。私はBクルーの試験課題を時間内にこなすのであるが、何度受けてもマネージャーが難癖をつけて不合格にするのだった。そんなある日、別のマネージャーがきてくれたので私はやっとBクルーになれた。が次の日だった。

 いつものマネージャーが珍しくレジの仕事をしていた。バーガーのポジションは例の新入りに奪われ、私はシェイク係に左遷されていた。なぜかマネージャーが急にシェイクの機械を掃除しろといってきた。しばらくするとパッキンを外すときに顔を触ったと言って店中に聞こえるような大声で私を怒鳴りつけたのだ。見せしめなのかデモンストレーションなのかわからないが、営業中にシェイクの機械の清掃をすることは通常ないので計画的な行為である事が理解できた。マネージャーのやめさせたいという気持ちを察し、この日をもって私は○⚪︎○を退職した。こうして私はたった1ヶ月の間に、昇進、左遷、リストラというサラリーマン人生の悲哀を経験し、代わりに5万円ほどの最後の初任給を手にした。

 マネージャーが私をやめさせたかった理由が今ではよくわかる。それは私よりも有能な人物がたくさんいたからだ。後から入ってきた彼は要領は良くなかったが、よく気がつく性格であった。客が止まって暇になると、冷蔵庫を点検して少なくなった材料を補充したり、洗い物を済ませたりして、常に自分で考えて次の準備をしていた。グリルにもたれてただ指示を待つ私に対して、彼は全くと言っていいほど指示を受けなかった。そして思わぬオーダーで私がパニックになると、必ず彼はニヤッと笑って手伝ってくれた。

 結局その給料では少し足りなかったが、バイトに夜遅くまで頑張ったからといって残りは親が援助してくれた。念願のギターを手にする、それは待ちに待った嬉しくてたまらない瞬間であるはずだった。確かに舞い上がるほど幸せだったが、深い湖のような青緑色を見ていて、なぜかそれが自分の心を映しているように思えた。

*この文章の題名はマイルスデイビスのKInd of Blueに収録されている曲名を引用しています。ギタリストからも絶大な指示を得ている名曲です。

禁煙セラピーを読んでタバコをやめた話(2001学級通信)

 「タバコもテニスもやめなさい。」と校医の中村先生は言った。今や心の支えともなっているテニスと10年にもなる習慣であるタバコをいっしょにやめろとは、この人は本当に医者なのだろうか。しかしながら、思い当たることがある。蒸し暑い日や寝不足の日などは決まって発作に見舞われていたからである。サーブやスマッシュなどの瞬間的な力を使うショットの直後、突然脈拍が5倍ぐらいになる。100メートルを全力疾走した直後でもこんなにドキドキすることはない。

「もし、この発作が10分も続いたら・・」

 発作が起きたら医者から指示されているようにする必要がある。つまり、街角にたむろする若者のようにしゃがみ、地面をじっと見るのだ。しばらくすると脈拍は元に戻る。だんだんゆっくりになるのではなく、まるでスイッチを切ったかのように瞬時に直るのである。そしてプレーを再開することができる。

 WPW症候群というやつで、生まれつきのもので治ることはあまりないらしい。日常生活に支障はないが、激しいあるいはしつこいスポーツをするこを私は高校生の時以来禁じられている。

 テニスは30才の時に始めた。賞状1枚もらえる腕前ではないが、それでもテニスから得るものは限りなく大きい。しかし、テニスコートで心筋梗塞にでもなれば、仲間に多大な迷惑をかけてしまう。やはりここはタバコをやめるしかないだろう。

 実は禁煙には今まで何度かチャレンジしている。でも最高で一月。かえって数回の失敗で「そんなもんやめれるか!!」と開き直っていた。しかし子どもができるということもあり、やはりやめ時であることには間違いなかった。しかし自信はない。どうやってやめるか。タバコを吸いながら私は考えていた。

「この1本を最後にできるか。」

「できない。」

「ではどれを最後にするか。」

「10本目?20本目?100本目?」

「とりあえずこの1本は吸う。その後で考えよう。」

 困ったとき、私は必ず本屋に行く。学校から家までの道中には本屋がないので、ずいぶん遠回りをしていつもの本屋に行った。期待に胸躍らせて、禁煙に関する本はあるかと訪ねたところ、店員はないといった。取り寄せも書名が確定していないのでできないらしい。

 「禁煙に関する本がない?こんなにいっぱい本があるのに?」と思いながら下の棚を見ると、黄色い本がガバッと平積みされている。そのタイトルは「禁煙セラピー」しかも「読むだけで絶対やめられる」というサブタイトル付きだ。私は彼がレジに入るのを見計らって、その本の支払いをした。

 著者のアレン・カーは日に100本のヘビースモーカーであったが、悟りを開いたある日、何の苦しみもなくきっぱりタバコをやめたというのである。その悟りというのは精神力でタバコを断つのではなく、タバコがいかに不要なものであるか理解し、精神的な依存をなくするというものである。自信に満ちて力強い文章だ。こんなふうに。

 「従来の禁煙法は、始めたときにはエベレストにでも登り始めた気分、2,3週間後には無性にタバコが恋しく、吸っている人がうらやましくなる、そのようなものでした。しかし本書はあなたが悪い病気を克服したときのように意気揚々と、今すぐ禁煙を始めたくなることを目的としています。本書の禁煙法でタバコをやめたあとはタバコのことを考えるたびに、どうしてあんなものを吸っていたのだろうと思うようになります。そしてタバコを吸っている人がうらやましいどころかかわいそうに見えてくるでしょう。ただし、現在タバコを吸っている人は本書を読み終えるまでタバコをやめないでください。矛盾していると思われるかもしれませんが、いいのです。」

 理屈っぽい私にこの本は実にぴったりで、217ページ100%完璧に納得し、禁煙で失うものが何もないということをたった900円で理解することができた。しかし、やはりタバコをスパスパと吸っていたのである。理解できたからといって吸いたい気持ちがなくなるわけではない。

 タバコのうまさというものは、唐揚げがうまいというのとまた違う。説明は難しいが、吸っていないときは数学の問題を解いている時のような感じで、吸ったときはそれが解けたときのような感じとでも言おうか。1分間息を止めてから空気を吸ったときの感じといってもいいだろう。まあそれはともかく、やめなくてはならないと思うと、よけいにうまくなるものなのである。しかし、信仰は行動を起こす力を作り、ついにその日が来た。その日私は第50章を何度も読んだ。

「準備ができたと思う人は最期の1本を吸いましょう。ただし、一人で吸うこと。無意識に吸わないこと。一服一服に集中すること。味と臭いに集中すること。発ガン性の煙が肺に入っていく感じに集中すること。毒素が血管に詰まる感じに集中すること。ニコチンが体内にいきわたる感じに集中すること。その1本を消すときに、もう二度とこんな感覚を味わわなくてすむことのすばらしさを感じること。奴隷生活から解放される喜びを味わうこと。それはまるで真っ暗闇から日光のさんさんと降り注ぐ世界に抜け出したようではありませんか。」

 私はついに最後の1本に火をつけた。そして本に書いてあるとおり、その1本に全神経を集中した。

 真鍮でできた、イタリア製の灰皿がずいぶん気に入っていた。0を一つ見落としていることをレジで知り、動揺しつつもやっぱり買った灰皿だった。使い込んだ管楽器のような色のその灰皿に最後の火が消えていった。最後の1本は実においしくなかった。

 タバコを吸いたくなる瞬間というものがある。食事のあと、授業のあと、運転中、パソコンの前に座ったとき、テニスのあと、釣りのとき・・・。不愉快なことがあったときも、何かを終えたあとも、そして、何もしないときも。つまり、かなり頻繁にあるわけだ。しかし、そのハードルを私は次々とクリアし、1週間、2週間が過ぎていった。自分でも信じられないくらい順調だった。今回は明らかに違う。3週間が過ぎれば、タバコのことを考えもしなくなるに違いない。私は勝利を予感していた。それはまるで、強烈に加速した飛行機が滑走路を離れる時のようだった。

 しかし、節目と思っていた3週間が過ぎても、期待していた変化が起こらない。テニスに関してもタバコをやめた効果が現れると思っていたのが見当違いだった。実は急激に体重が増え、動きがよくなるどころか、膝が痛くなる始末だった。900円の信仰が揺らぎ始めると、悪魔の猛攻がはじまった。一日中タバコのことを考えては自分を説得するという作業を繰り返す毎日で、私はみるみる消耗していった。

 とうとう一ヶ月になろうとしていたが、熟睡できた日は1日もなく、心労はピークに達し、私は疲れ切っていた。些細なことでめちゃくちゃに腹が立ち、キレてしまう。もしかするとこれがノイローゼの症状なのかも知れない。

「もう限界だ。」

体調や人格が崩壊してしまっては、タバコをやめる意味がない。

「もういい。これで十分だ。」

 私は家路の途中で車を止めた。学生時代よく吸っていた赤いラベルの外国タバコを一箱買い、ニュータウンのはずれの車通りの少ないところに移動した。黄色いイチョウの葉がちりばめられた歩道に私は足を下ろした。もう、迷いはない。

 一月ぶりのタバコは理屈に反して最高にうまかった。お腹や胸のあたりの焼けたような感覚がなくなり、長年の病気が一気に治ったように感じた。しかし癒しの恍惚感が消えると、深い絶望感だけがそこに残っていた。今までしてきたことが水の泡となって何もかも失われていた。タバコすらやめられない自分にできることなど何一つないに違いない。よき父になることなどとうていできないだろう。それは忘れることのできない敗北の味だった。

 この夜は本当によく眠れた。こんなによく寝たのは子どもの時以来かと思ったほどだった。まぶしいほどの秋晴れの朝、私はもう一度やってみることに決めた。いつものように出勤し、1本だけ抜けた赤い箱を内藤先生にあげると、彼はたいそう喜び、「これは久しぶりですな。」といいつつうまそうに吸った。

 結局それ以来私はタバコを吸っていない。しかし考えてみると、あれが最後のタバコになるのかどうか死ぬまでわからない。 

英語を勉強しないとボクシングの試合に勝てないという話

 高校時代、長男はサッカーをしていたので本格的な受験勉強のスタートが遅かったと思います。国立大志望なので5教科の勉強をしなければならず成績はなかなか上がりません。焦る気持ちから、理系なので英語よりも理科の勉強を優先すると言い出しました。英語を捨てると受験できる大学が限られてくるので自分の生徒には絶対に勧めない作戦です。英語が得点できない人がそれを数学や理科で挽回するというのは現実的ではないので、英語の試験がないか、あっても得点の割合が低い学部を探すしかありません。

 確かに、英語は偏差値が上がるまでに相当時間がかかりますから、理科を先にやる方が成果が上がりやすいでしょう。級友たちが英語に苦戦している間に長男は化学と物理の仕上げにかかりました。その結果、彼は中国地方の国立大学に合格しました。個別試験に英語がない学部を狙ったわけです。

 それはさておき、大学に入学した長男は突然ボクシング部に入りました。穏やかな性格でサッカー部時代はディフェンス、短距離よりも長距離が得意だったのでとても向いているとは思えませんでしたが、逆にそういう性質だから挑戦して見たかったのかもしれません。

 サッカーをやっていた頃と同様に長男はストイックにボクシングに打ち込みました。やがてキャプテンになり、中四国の大会では賞状をもらうこともあって、その辺ではちょっとだけ有名選手になっていました。

 3回生の冬、引退試合があるというので、会場の一橋大に足を運びました。

 試合は1回きりです。これまでの戦績で対戦相手が決められます。中四国では連勝中の長男の相手は、いつもは一つ上の階級で戦っている東大生でした。

 一つのリングで軽い階級から順に試合が行われていきます。ボクシングの試合を観戦するのは初めてでしたが、動きの速さ、パンチの炸裂する音、軽い階級でもかなり迫力があります。こんなに激しいバトルをうちの子供ができるんだろうかと心配になりました。

 2時ごろまで待たされましたが長男の試合はあっという間でした。最終3ラウンド、スタミナ切れで足が止まった瞬間、相手の右ストレートを喰らってKOされました。

 試合の後、意外にも長男は清々しい顔をしていました。死に物狂いで戦うと気持ちいいのだそうです。悔いはない様子でしたが、唯一中国地方では試合相手を探すのが大変であったとこぼしていました。いろいろな相手と試合をして経験値を上げておきたかったそうです。

 勉強は都会の学校に行かなくてもできます。国立だと設備も充実しているし、教員一人に対する学生数が少なく、また物価が安かったりと地方の大学の魅力はたくさんあります。しかし、スポーツで強くなりたければ、より厳しい環境、つまり強い奴がウジャウジャいるところに身を置く必要があるでしょう。その点、都市圏の大学は規模が大きく、部活動にも活気があり、実際強いのです。勉強だけでなく、部活やサークル活動なんかにも力を入れたいという人はやはり英語の勉強を疎かにしてはいけないという話です。

奇跡的な運命(2015年の学年通信)

 約二十年前、私はちょうどT山先生のようなさわやかな新米教師でした。何の経験もない私が、その学校に赴任するなりⅡ類理数系という進学クラスを任されたのには理由がありました。北部には高校が少なく、教員とその子供が同じ学校にいることは珍しくないのですが、教頭先生の息子が入学してくると聞いて、さすがのベテラン勢も一同辞退されたようでした。しかしそんなことは奇跡的な運命ではありません。

 このクラスにNという男子生徒がいました。4月の面談で彼はいきなり、「数学をやりたいので京大を目指します。どんな勉強をしたらいいですか。」といって、その大きな目で私を見つめました。

 高校の正門の真向かいにスバルという大型書店がありましたが、彼はそのスバルにある、「京大現役合格必勝法」とか、「京大合格大作戦」というようなハウツー本をすべて買って読み、次々と教室の本棚に置いていきました。それだけではなく、誰彼かまわずクラスの生徒にその本を渡し、「一緒に京大に行こう。3年も頑張れば絶対に行ける。」と同志になることを求めました。Nの熱い進路指導は何ヶ月も続き、クラスの生徒たちはうんざりしましたが、2年になるまでになんと5人がNに賛同し、京大志願を表明したのでした。

 HとIはともにA木塾という地元の京大専門の塾生で、Nにいわれるまでもなく京大志望でした。Oと教頭の息子Sは隣町の有名進学塾に入塾しましたが、Kはブラバンなので進研ゼミで頑張ることに、そして進路指導主任Nはスバルの本だけで勉強するといいました。

 6人はそれぞれの方法で勉強に打ち込み、メキメキと力をつけていきました。定期テストなどは彼らが暇にならないように作られたため、その激辛こってり味に大勢が迷惑しました。へこんでしまった多数の生徒をなぐさめる言葉が見つからず、困った私はよくお菓子を配ったものでした。

 3年になり、彼らが口先人間ではなかったことを模試の結果が教えてくれました。しかし京大や東大といえば知らない人がいない難関大です。果たして何人が合格するのか。全員が合格するということはないでしょうから、こうやって肩を並べて頑張ってきた6人にも明暗を分ける日が来る。そこに立ち会わなくてはならないことが恐ろしくなってきました。皮肉なことに進路指導主任Nが最終のオープン模試D判定で窮地に立たされていたのです。

 センター試験が終わり、Sは医学科志望のため京大出願をあきらめましたが、他5人は強い意志で予定通りに出願しました。前期試験では、得意の数学が1問も完答できず望みを絶たれたといってNが肩を落としていました。過去問20年分を覚えるほど解いていたのにこれが現実かと天を仰ぎましたが、結果は念願の理学部に合格。そしてIは薬学部、Hは東大理Ⅰに、Sも滋賀医大に合格していました。ところが、ずっとA判定で当確だった農学部の2人がそろって不合格だったのです。

 しかしまだこの頃は京大に後期試験があり、農学部には各学科十数名の枠が残されていました。OとKは想定外の結果に切れた状態でしたが、気力を取り戻して後期試験に臨み、2人とも合格しました。それだけではなく他の生徒たちもC判D判を覆して次々と合格を決めてきたのです。終わってみれば担任はもとより、生徒たちさえ思いもしない結果だったのです。

 模試の判定は、各学力帯における合格者の割合を過去のデータから推測しているだけなので、個々の試行の結果がそれに一致するわけではありません。裏を返すと一部においてはとんでもないことが起こるのが現実であり、いつもどこかで奇跡は起こっているといえるでしょう。常識や統計にとらわれない精神がたゆまぬ努力で革新を起こし、社会を進歩させています。大学入試に挑戦するということは、そういう精神や生き方の第一歩としての価値があると思います。だから、たいして面白くもない勉強を日々頑張っているあなたにはきっと奇跡的な運命が待っているはずです。

*この文章の題名は文化祭の演劇「Miraculous Fate」から引用しています。

猫の不思議

 ラピを動物病院で診てもらいました。健康状態は良好という事なので予防接種をしました。まだ生後2ヶ月ぐらいだそうです。

 生後2ヶ月というと人間なら全く目が離せない時期です。食べることも動くこともできません。でも猫はもうなんでもできます。まずトイレですが、猫砂の上に乗せるとそこでトイレをするようになりました。他の場所では絶対にしません。人間と暮らすためには重要な能力ですがどうやって身につけたのでしょうか?うちの子供は一人でトイレに行けるようになるまで2年以上かかりましたが。

 共稼ぎ家庭なので、この幼い家族を一人にして仕事に行かなければなりません。行かないでと鳴きますからとても辛い上に、家の中には危ない場所がたくさんあることが引っかかります。階段やらロフトから落ちたらいくら猫でも怪我するのではないでしょうか。変なものを口に入れて窒息死したらどうしましょう。風呂に落ちたらいけないので絶対に水を抜き忘れてはいけません。でも家に帰るとラピはいつでも元気に出迎えてくれました。怪我ひとつありません。

 私たちが階段を降りようとすると、男子ラピは猛スピードでぶち抜いて速さを見せつけてきます。勢い余って階段の手すりの隙間から落ちてしまわないか心配で紐を張り巡らしていましたが、それに当たることすらなかったと思います。その向こうが崖になっていることが頭に入っているようなのです。ロフトははしごで上り下りしますが、降りる時は慎重に降りて来ます。落ちるかもしれないと思う場合はスピードをコントロールします。キッチンや棚などいろんなところに飛び乗ったりしますが、失敗することもありませんし、そこにある物に体をぶつけて落としたりすることもまずありません。猫は部屋を荒らさないんです。ただし、お気に入りのソファーで爪を研ぐのだけはやめて欲しいです。

 生後2ヶ月の子猫のこの完成された生きる力を本能と片付けていいのでしょうか?階段やロフトのはしごの形状とその爪がかからない硬い材質も本能に書き込まれているのでしょうか。それに引き換え、失敗を繰り返して成長しなければならな人間の方が高等生物だということがどうも腑に落ちないんです。

 きっと動物たちは神様とつながっているのでしょう。ラピの目を見るともうすでに自己実現を果たしているかのようです。        

「ご主人様、人間になるためにせ〜だいお気張りやす。」